一人では辿り着けなかった答え
──「満席」という呪いを超えて、推しが武道館に立つ未来へあなたの推しが、もし武道館に立てる可能性があるとしたら——
武道館での対バンライブについて文殊と一緒に考えた。
先日、ある対バンイベントが武道館で開催された。
空席が目立ったという批判の声がSNSを騒がせた。
でも私は思った。
この批判で未来の可能性を閉ざしてしまっていいのか、と。
だから私は、文殊という自作の思考増幅システムを作って、
この問いを三人の賢者に投げかけた。
詩的な論客、戦略的な軍師、知の統合者——
彼らとの対話を経て、
私は一人では絶対に辿り着けなかった答えを見つけた。
それは、
『武道館は、満席であることで価値を証明する場所ではない』
という、シンプルだけど革命的な真実だった。
この記事は、
推しが武道館に立つ未来を諦めたくないすべての人へ贈る、
希望の物語である
問題提起:「満席」が呪いになっていないか?
今回の武道館対バンイベントで起きたのは、
満員とは程遠く見える会場の様子、それを動画に撮り、
ガラガラであることを揶揄する様子や、
それを見た当事者以外からの批判、
誰でも立てるような安い場所にするなという批判。
それでも1000人超の集客をしたことはすごい、
特典会に参加している人も含めれば本来はもっといたはず。
等の両論だ。
このような議論が発生するのは、
日本武道館という場所が持つ「聖地性」によるものが大きい。
「選ばれし者が立つ場所」「満席であるべき場所」
という歴史的な重みや、
ファンにとっての「推しが立つ究極の夢の舞台」
という期待が強く根付いているからだ。
しかし、今回の件で、その「満席」という基準が、
新たな挑戦や可能性を阻害する
「呪い」になりかねないと危惧している。
ここで批判を浴びせて叩きつぶしてしまうと、
「武道館に立てるのは1万人以上のキャパを単独で満席に出来るグループだけ」
という事になってしまう。
そんなグループが存在するのかと言われれば、
正直に言ってライブアイドル界隈で、
思い浮かぶグループはほぼ0に等しい。
「満席の有無」から「門戸の開放性へ」
俗にいう聖地というのはどんな場所だろうか。
誰か一人しかたどり着けない場所?
困難の先にしかない場所?
聖地巡礼という言葉がある。
聖地は誰でも訪れることが出来る場所、
門戸が開かれた場所ではないのだろうか。
であるならば、武道館という聖地も、
「誰にでも開かれた、立てる可能性がある場所」
であるはずだ。
「推しが武道館に行ってくれたら死ぬ」
この言葉は、可能性があるからこそ意味がある。
「絶対に無理」だったら生まれていない言葉だったに違いない。
今回の武道館での対バンイベントを、
武道館の価値を再定義する機会にしていきたい。
ライブアイドルにおける武道館の位置づけの再定義
ライブアイドルは構造的に武道館を埋められるのか
ライブアイドルが単独で武道館を埋められないのは、
優れているとか劣っているとかそういう物差しでは測れない。
まず、ライブアイドルはライブをするからライブアイドルだ。
日々の活動としてライブを主軸としている中で、
一回一回のライブももちろん集客する必要がある。
その上でさらに自分達のワンマンライブや定期公演など、
力を入れて動員するライブがある。
一発勝負でどれか一つだけ集客できればいいというものではない。
そこが難しいところであり、
「ライブアイドル」としてのアイデンティティでもある。
週の半分をライブに費やしているアイドルが、
その合間の時間だけで、
1万人以上の動員を稼ぐのは、
現実的に難しい。
単独では難しくても「共創」出来るのではないか
であるならば、今回のような対バン形式は、
実はライブアイドルが武道館に立つためには、
とても現実的な試みだと思える。
ただ、今のような動員への過度な依存や、
大きなイベントに出るための賞レース構造、
一度のライブだけで判断されてしまう構造、
これらは武道館における対バンイベントにはいささか相性が悪い。
武道館という大きな会場をいっぱいにするには、
たくさんのグループの力が必要だ。
言わば、対バンではなく「共バン」とでも呼ぶような、
新しい概念が必要になってくる。
武道館のステージという切符を手にした瞬間、
隣にいるのはライバルではなく、
ともに武道館を埋めるという共通の目的を持った「仲間」になる。
仮に小さな規模で予選のようなものをやるとして、
この共バンに出るグループに対する評価軸は「動員」ではない。
案として上げたいのは「フロア貢献度」の可視化だ。
最終的に武道館に集った時、
「自分のグループさえ盛り上がればよい」
という考えを持ったファンが集まっているとそれは全体の和を乱す。
グループのパフォーマンスだけではなく、
「ファンがフロアからどのような役割をしたか」
が重要になってくる。
具体的に見えてくる武道館予選の構造
例えば、予選としてライブを開催する場合、
チケット発売時に各グループ目当てごとに販売枚数を決め、
フロアに同数ずつのファンが集まるようにする。
その状況でライブを行った時、
自グループの盛り上がりだけでなく、
「他グループを一緒に盛り上げたか」を評価するのだ。
これが評価されるようになってくると、
グループ間の関係がとても良好になる。
ファン同士の出会いの場として機能して来る。
勝ち負けではなく、「どれだけ楽しめるか」
が評価されるのだ。
結果として全グループ勝ち抜いてもいいかもしれない。
仮に負けた相手だとしても、
「あのグループなら応援したい」と、
自分達の推しが出演しなくても応援に行く関係になるかもしれない。
そして、今度はそういったグループの垣根を超えた応援を、
「次の武道館」の評価軸に加える事も出来る。
敗者復活させて一緒のステージに立たせても面白いと思う。
これはもはや推しメンと、「仲間」と描く新しい物語だ。
このように、ファンや他グループを巻き込み、
武道館までの「共創イベント」を継続的に実施する事により、
武道館までの道のりを可視化し、
長期的な物語として共有する「ファンコミュニティ参加型」
のプロデュースが出来る。
最終的な目標としては武道館を「単なるゴール」
ではなく、「成長と共創の象徴的な場」
として再構築し、多様なアイドルが夢を終える未来を創造する事だ。
そうはいっても現実的な問題
経済的・ビジネス的持続可能性の視点
とは言え武道館でのライブを開催するのは膨大な運営コストがかかる。
各グループが全力で動員を集めたとしても、
やはり満席にするのは難しいかもしれない。
ただ、多数のグループが集まるという事は、
それだけリスクも分散する。
また、物販やスポンサーシップ、クラウドファンディングなど、
グループや事務所の垣根を越えて開催することで、
収益源を多角化できるメリットもある。
特に、今回のように見た目上空席に見えたとしても、
「配信チケット」を駆使することで、
オンラインとオフラインの融合を図ることが出来るのだ。
物理的な「空席」は必ずしも「ファンがいない」ことを意味しなくなる。
オンラインでの視聴者数を含めることで「参加者数」の定義を拡張できる。
アーカイブも同様にチケットとして含めれば、
当日現地で参戦した上で改めて俯瞰して見たいという需要も満たすことが出来る。
VR/AR技術などを応用することで、
オンライン参加者にもリアルなライブ体験を提供することで、
物理的な空席の心理的影響を軽減し、
新たな一体感を生み出す可能性も秘めている。
ライブビューイング会場と音声をつないで、
遠距離からでも武道館に応援の声を届けることが出来る。
なども面白いかもしれない。
武道館が誰でも目指していい場所になる
このようにして「誰にでも門戸が開かれた武道館」
として確立して来ると、「遠い存在」「口にするのも憚られる無謀な存在」
ではなく、「推しとファンが協力すれば目指せる舞台」
になるのだ。
そして、一度武道館のステージに立った時に初めて、
「ここを単独で埋められるか」「もっと中心に近い存在になれるか」
そういった「現実的な指標」を立てられるようになる。
立つことがゴールではなく、そこから「自分達の武道館が始まる」のだ。
だから、対バンで武道館に立つことは決してズルではない。
どうにか守り抜きたい、希望の光だ。
このようにして守り抜いた武道館という「可能性」
を推しメンと一緒につかみ取った時、
「推しが武道館に行ってくれたら死んでもいい」
と心の底から言えるのではないだろうか。
文殊が導き出した結論
「推しが武道館に行ってくれたら死ぬ」
その言葉は、終わりではなく始まりなのだ。
武道館は、満席であることで価値を証明する場所ではない。
そこに至るまでに紡がれた無数の物語と、
そこから始まる新しい物語によって、
永遠に輝き続ける場所なのだ
文殊「と」導き出した結論
今回の対バンイベントで空席があったことを「失敗」と呼ぶ声があります。
しかし、三人の賢者との対話を経て、
私たちは別の物語を見出しました。
それは「最初の一歩」という名の、勇敢な挑戦だった。
3000人のファンが集まったなら、
3000の希望の灯火が灯ったのです。
その光が、次に武道館を目指す誰かの背中を押します。
その光が、「私の推しも、いつか」と夢見る誰かの道標になります。
推しが武道館に立つ未来は、満席の日に完成するのではない。
挑戦した日から、すでに始まっている。
空席は恥ではない。
それは「まだ出会っていない未来のファン」
のための、希望の席なのだ
武道館という聖地の価値は、
「選ばれし者だけが立てる」
という排他性ではなく、
「すべての夢見る者が挑戦できる」
という包容性にこそ、宿る
私たちがすべきことは、批判ではない。
次の挑戦者が、より豊かな物語と共に武道館に立てるよう、
道を照らすことだ。





