ライブの完成度はファンが作る。アンコールの作法と、一人でも最後まで叫び続けた想い

「アンコール待ち」という運営からのパスを無視するな

最近参加したライブでとても驚くことがありました。
メンバー達が完全な挨拶をせず、簡易的な挨拶を済ませて退場。
照明も暗転したままで完全な「アンコール待ち」の状態。

アンコールして大丈夫ですよと言うメンバーと運営さんからのメッセージだ。

にもかかわらず、「アンコールないです」という言葉がフロアから聞こえた。
耳を疑った。
これだけの条件が揃っていて、アンコールしない?

第一、アンコールに「ある」も「ない」も本来おかしな話だ。
ライブパフォーマンスに感銘を受けて、
演者が退場した後でも「まだ続けて欲しい」「まだ見ていたい」
そういった感情の爆発を言葉や手拍子に乗せて届け、
演者を呼び戻すのがアンコールの本来の意味だ。

「するか」「しないか」なのだ。

私はまだステージを見ていたいと思った。
そして、アンコールも許されていた。
だから叫んだ。

「アンコール!!!!」

後に続く言葉はなかった。
誰もアンコールというものを理解していないのだ。

表も裏も一人で。常識を捨てて叫び続けた理由

決心は決まった。
「一人で呼び戻す」

大体のライブでのアンコールは先導が表、周囲が裏というように、
交互にアンコールを叫ぶ。
そうしなければ息が続かないからだ。

だが、この日の私はそんな常識にとらわれなかった。
表も裏も両方、誰よりも大きな声で叫び続けた。

途中から声を張り上げ、先導の真似事をやろうとする者も現れた。

「遅い」

無視して表も裏も誰より大きな声で叫び続けた。

息継ぎをどうやっていたのか、自分でもよく覚えていない。
それでもメンバーが戻ってくるその瞬間、
照明が再び灯るその時まで声を出し続けた。

やり切った。

何もかも中途半端、アンコールなしでのあり得ない閉幕は辛うじて防いであげることが出来た。

と同時に、アンコールが「ある」「ない」と事前に伝えられているライブにしか参加したことがない人は、
実はたくさんいるのではないかと恐ろしくなった。

「文化の死」は予定調和の向こう側にある

文化の死」それは実はほんのすぐ近くまで来ているのではないか。

そんな不安からこの記事を書いている。

私は予定調和的なアンコールは大嫌いだ。
一番好きなアンコールは、
拍手がそのまま途切れず演者を呼び戻すための手拍子に変わる瞬間

終わりの拍手は、終わりではない。
そう思わせてくれるあの瞬間がとても好きだ。

アイドルのライブは、少し独特だ。
オタクの口上が入る場合も多い。

それ自体を否定するつもりはない。
けれど、それが間延びしていたり、始まるのが遅かったり、
そういう「フロアの熱を奪う」ものだった時、
私はその口上を嫌悪する。

だったら余計な言葉を挟まず、ただアンコールと叫ぶだけの方が情熱的だ。

私は色々なコールを叫び続けていた。
あらゆるコールの中で、一番魂を載せていたのがアンコールだ。

そこには確かに演者とフロアの魂のぶつかり合いがある。
正直、中途半端なアンコールなら怒って帰るくらいの演者の方が私は好きだ。
そうさせないくらいの情熱をもって迎え入れる覚悟はある。

アンコールとはそういう物なのだ。
一瞬でも愛を途切れさせたら、
その瞬間アンコールへの可能性は失われるかもしれない。

そのくらい繊細で、大切なやり取り。

マナーではない、これは「魂」のぶつかり合いだ

照明が再び灯るまで、演者が帰ってきてくれるその瞬間まで、
一瞬たりとも気を抜かず叫び続ける。

それがオタクに出来る「ライブを完成させるための一手」だと思う。

そしてアンコールを汚す者は、ライブ全てを台無しにしている。
その自覚を持ってほしい。

マナーやルールではない。
アンコールは魂なのだ。

アンコールは「演者の心」を守るための聖域

「アンコールないです」あまりにも身勝手て場の雰囲気を理解しようともしない言葉。
それに対してここまで怒ったのは、それだけライブという空間を、そしてメンバーを愛しているからです。
もう一度披露しようとしていた新曲。準備していた特別な服装。
アンコールが起こらなければ、袖で待っていたメンバーも、出て来ることは出来ません。

呼ばれてないのに再登場する。これがどれだけの悲しみか。

フロアからのアンコールは演者の心を守るための大切なプロセスなのです。